SCDB HOME
ニュース/コラム
 2006年 

  • ビルマ軍政の3弁護士? (6月3日)
 31日、国連安全保障理事会でビルマの問題を正式に取り上げることについて、日本・ロシア・中国が強い反対の姿勢を示しました。
 この日、ガンバリ国連事務次長によって、5月18日〜20日のビルマ訪問に関する報告が行われました。この後、安保理での論議について、日本の大島賢三国連大使が反対し、ロシア・中国がこれに続きました。安保理では、ビルマ問題よりも、国際平和と安全を脅かす問題を扱ってほしいというのが日本の意見で、中国は、ビルマが自国で解決できる問題に国連が介入すれば、さらなる混乱を招くとし、ロシアは、ビルマは世界平和を脅かしてはいない、との意見を述べたということです。
 日本が反対の先鋒となったことについて、国民民主連盟(NLD)広報のミィンテイン氏は、インタビューにこたえ、日本はASEAN加盟諸国のことを理解している国のひとつで、民主主義国家だが、我々の国の実情が見えていない、これはとても残念だと述べています。
 ビルマの政治問題、経済状況の悪化、麻薬問題、HIV感染の拡大、近隣諸国への難民の大量流入、ノーベル平和賞受賞者をはじめとする人々の監禁・拘束、などなどは、世界の平和・秩序を脅かしてはいないのでしょうか?

  • アウンサンスーチーさんの拘束延長、その後の動きは? (5月29日)
 5月26日、ビルマ軍政がアウンサンスーチーさんの拘束を延長しました。
 27日、彼女の自宅前の通りが、警察に封鎖されました。この通りに住む市民は、外出時、バリケードを通過するたびに、目的地などを警察に報告しなければならず、迷惑しています。
 29日、マレーシアで非同盟諸国会議の閣僚会議に出席した、ビルマ軍政ニャンウィン外相は、アウンサンスーチーさん拘束延長について記者団に尋ねられ、「これは、国際問題ではなく、国内の問題だ」とこたえました。
 29日、国民民主連盟(NLD)は、アウンサンスーチーさんの拘束延長について、法律に違反するため、SPDC(国家平和開発評議会=軍政)に対して訴訟を起こすことにしたと、NLD専属ニャンウィン弁護士が明らかにしました。
 日本政府の反応は、29日外務報道官談話に終わっています。


  • 拘束の延長、国内の反応は? (5月28日)
  ビルマ軍政は、アウンサンスーチーさんを自宅に拘束する期間を、また1年間延長しました。この措置について、軍政当局はこれまで、国内外ともに、公式発表を行っていません。
 軍政は、昨年11月27日、拘束をすでに半年間延長していました。そのため、この期限が切れる今月27日には解放されるのではないかと、ビルマ国民や、世界中のビルマに関心のある人たちが、期待して待っていました。この期待の理由としては、今月23日のASEAN警察長官会議で、ビルマ警察長官キンイー准将が、「彼女とNLDとの支持率は下がっており、解放したからといって政治的混乱はない」という趣旨の発言をしたこと(現在アウンサンスーチーさんは、軍政が定めた国家防御法10b条(国の安全を脅かすと判断した人物を司法手続きなく拘束できる法律)によって拘束されていますが、この発言は、その条項が適用できない状況になったことを示します)、また、26日タイ・バンコクでアナン国連事務総長が、ビルマ軍政トップ・タンシュエ上将に対してアウンサンスーチーさんの解放を求める声明を出したこと、さらに、5月18日〜20日にビルマを訪れたガンバリ国連事務次長が、20日ピンマナでタンシュエ上将との会談後、アウンサンスーチーさんとの面会を果たしたことなどがあります。
アウンサンスーチーさん自宅前に集う若者たち 後方は警察

 27日には、アウンサンスーチーさん自宅付近に、徐々に人が集まり、解放を待つような状況になっていました。しかし、この日になっても解放のニュースは聞こえてきません。この日は、1990年国民総選挙の16周年記念日です。国民民主連盟(NLD)本部には、党員やオーストラリア・アメリカ・ドイツ・フランス・イギリス大使館員、国連関係者、1000人以上が集まり、式典が行われていました。午後になって、実は26日中に拘束の延長が本人に通告されていたことがわかりました。そこで、式典後、NLD青年党員200人が、本部事務所からアウンサンスーチーさん自宅前までデモ行進を行いました。徒歩による平和的な行進でしたが、警察機動隊、消防団、USDA(連邦団結発展協会=軍政翼賛団体)によって通行妨害を受けました。また、自宅付近まで来たときには、軍隊から通行を阻止されました。そこで、自宅付近で解放を待っていた200人以上の人々と合流しました。軍が、この集団に対して解散を命じたため、この人たちは声をそろえて「アウンサンスーチーさんお元気で!」と叫び、15時45分に解散しました。その声は、通りいっぱいに響きわたりました。アウンサンスーチーさんにも届いたことでしょう。
 1988年の民主化運動の学生リーダー、ミンコーナインさん(一昨年11月に15年8ヶ月の投獄生活から解放された)は、27日インタビューにこたえて、「最悪の国情から脱出する鍵は、アウンサンスーチーさんにある。軍政が、本当に国の成長を考えているなら、アウンサンスーチーさんを解放して平和的対話をすることだ。しかし今、また延長した。これからは軍政に期待しないで、自分たちにできることをしていかないといけない。」と話しました。また、年輩の政治家たちは、若者たちが性急な行動に出ると、再び血が流れることになると、心配しているとのことです。

  • 本格化する選挙結果のもみ消し (5月13日)
 1990年5月27日、ビルマ国軍は、民政移管を唱えて、複数政党制の国民総選挙を実施しました。結果、与党となった国民民主連盟(NLD)には政権移譲されず、16年が過ぎようとしています。
軍政の情報大臣チョーサン准将
 今年4月26日、軍政の情報大臣チョーサン准将は、チャインドン(シャン州の都市)での記者会見で、「NLDを非合法化できる」と発言しました。これによると、NLDは、外国に拠点を置くテログループ(少数民族や民主化活動家の武装組織のこと)と連携して国家を混乱させるために活動しているため、非合法組織として告示できるとのことです。
 また、准将は、NLDの2月12日特別声明(関連記事:2006年3月13日)に触れて、「現政権は1988年の混乱期に国家の治安を守るために成立した政権で、以来、近隣諸国や国連などから、国際的に認められている」、国会召集の提案も「1990年に国会議員として選出されたNLD党員392名中、死亡・出国・脱会などにより、現存は87名にすぎず、これで国会が召集できるか考えてみるとよい」として、「NLDは屁理屈をこねている」という見解を示しました。さらに、「NLDは(軍政と)対立していて、今では国民の支持も低下している。1993年に(軍政が)開催した国民会議をボイコットして中断させ、2004年に再開した国民会議にも出席しなかった(関連記事:2004年4月1日)。もうNLDとの対話は実現しない」とも述べました。
 この記者会見以来、連日、ビルマの報道には、NLD党員たちが自主的に離党しているというニュースが出ています。例えば、5月8日付国営新聞には、「NLDは現在、結党時の主義に反して活動している、外国(米国)の言いなりになっている、組織として機能していない、党本部が在外テログループと繋がっている、国家のために何の政策もとっていない。これらの理由から、シュエクー(カチン州の町)のNLD支部から67名が離党した」という記事が大きく掲載されました。
 NLD側は、チョーサン准将の発言について、根拠がなく、意味がないとしています。以前からNLD事務所のほとんどは、軍政の圧力によって閉鎖されており、現在はラングーンの党本部事務所しか開けられなくなっています。これまで、軍政がNLDを合法的組織として認めていたとしても、自由な活動は全く許されてきませんでした。
 国会召集に関しては、ビルマ連邦国民連合政府(NCGUB=亡命政権)の4月30日報告によれば、1990年国民総選挙で選出された全485議員中、死亡した議員は95名で、未だ8割を超える390名が健在しているので、今でも国会召集は可能とのことです。現在、収監されている議員は14名、出国している議員は34名です。
 また、離党騒動に関して、NLDからは、党員数人が軍政の圧力からやむを得ず離党したと発表がありました。軍政は、党員を離党させるために、大金を積んだり、「NLDはもうすぐ非合法化されるから、その前に離党したほうがいい。そうしなければ、家族・親類の経済活動は阻止され、公務員なら解雇される」などと脅迫したり、連日、党員宅に警察が現れて脅迫を続け、離党の証書を作成してきて署名を強要したりしているとのことです。5月5日、NLDは軍政に対して、圧制停止を要請しました。
 軍政は、国の民主化について、国際会議等の場で指摘をうけるたび、努力していると発言します。しかし、実際は、明らかに、民主化勢力への弾圧を強めています。このまま、NLDが破壊されてしまうと、1990年に国の代表を選んだ国民たちの心は、本当に行き場を失ってしまいます。NLD書記長のアウンサンスーチーさんは、3年前から軍に拘束されたままで、健康状態も明らかにされておらず、来月19日には61歳になります。

  • 民主国家のなかの軍事小国 (4月23日)
 4月21日、マレーシア・クアラルンプールのビルマ大使館で火事がありました。
燃えたマレーシアのビルマ大使館内
 火事の前日、大使館員チョーチョーさん(40)は、駐マレーシア大使ミェッアウン准将に、帰国を望んでパスポートと3か月分の給料を求めましたが、受け入れられず、2人は口論になりました。翌日、チョーチョーさんは大使館に放火して自殺しました。
 21日午後2時、チョーチョーさんは、大使館内でナイフを取り出し、スタッフ全員が館外に避難したところで、入り口を施錠して火を放ち、2階のバルコニーに出て、「この大使館の人たちは、私をいじめる」などと叫び、火の中に飛び込んで死亡しました。マレーシアのビルマ大使館は、2004年に、ロヒンギャー人3人によって、ナイフや斧で破壊され燃やされたことがあります。現在の建物は、その後改築されたものです。マレーシア消防によると、今回、建物外壁はあまり燃えなかったけれども、内部は70%が灰になったとのことです。このニュースは、ビルマ国内では、今のところ、一切報道されていません。
 ところで、望んでも帰国できずに自殺したビルマ人は、今年2人目です。1人目は、日本に暮らし、銀座のホテルに勤めていたゾーナンさん(37)です。3月14日にホテル8階から投身自殺しました。彼は日本で13年間就労していました。去年から体調を崩し、これまでのように働けなくなり、ビルマへ帰る準備をしていました。このとき、彼のパスポートは期限切れだったため、東京品川のビルマ大使館に更新を申請しました。しかし、彼はビルマ大使館に“税金”を支払っていなかったため、受付けてもらえませんでした。
 世界のビルマ人移民労働者たちは、大使館で公的手続きをとるためには、ビルマ大使館による課税に毎月応えなくてはなりません。日本で働くビルマ人たちは、1ヶ月に最低1万円以上の支払いを求められます。日本在住のビルマ人のなかには、不本意ながらも、パスポートやその他の証明書等のために、やむを得ず支払っている人たちがいます。8年前には、日本で死亡したビルマ人の遺骨を、ビルマの親戚に送ろうと、故人の知り合いが大使館に申し出たことがありましたが、故人が“税金”を納めていなかったために拒否されました。他国における徴税は、主権の侵害となり、できないはずではないでしょうか?また、こうした事態は、人権侵害ではないでしょうか?
 所在を民主主義国家に置きながらも、ビルマ大使館のなかは軍政下です。

  • 民主主義の手法 vs 軍事政権の手法 (4月23日)
 NLD(国民民主連盟)が、今年2月12日第59回連邦記念日に、民主主義への平和的移行を考えて出した特別声明文は、軍事政権に対して、
Harn Lay (The Irrawaddy)
こうなってしまうのか…
4月17日ビルマのお正月までに返答を促していましたが、軍政は何も応答しませんでした。
 このことについて、NLDは、今月21日、再度、声明文を出しました。今回は、現在ビルマが抱える問題(※問題内容は下記参照)を具体的に列挙し、それらの解決には海外からの援助が必要だが、ビルマが現在のような軍事国家ではまともな援助がうけられないため、軍政は、NLDとの対話を実現するか、先の特別声明文に示した手順で暫定政権として正式に認められることが必要だ、と訴えました。そして、今回の声明に、5月27日まで返答を待つとしました。この日は、1990年に軍政が自ら実施した総選挙の16年目にあたります。


インフレ、国民生活の困窮、貧富の格差拡大、中流階層の減少、交通・輸送機関の停滞、国内の燃料不足(外貨獲得のために輸出が優先される)、自然破壊と天然資源の枯渇、麻薬製造・流通の規制不備、AIDS・マラリア・結核・鳥インフルエンザの予防・拡大防止の不備。

  • 対話へむけての歩み寄り、待たれる軍政の応答 (3月13日)
 今年3月13日は、18回目の「ビルマ人権の日」(関連記事:2005年3月13日)です。
 しかし、18年間、軍事政権によって、ビルマ国民の人権は虐げられたままで、生活水準も低下する一方です。民主化活動家たちは逮捕・拷問され続け、アウンサンスーチーさんは3度にわたって拘束されてきました。この間、毎年、国連総会において、ビルマ問題に関する審議・決議が行われ、ビルマ軍政への要請など行われてきましたが、軍政はなんら有効な対応をしてきませんでした。また、国連も、状況が改善されなくても、それ以上に軍政を追及することはありませんでした。ビルマでは、昨年からひどいインフレが続き、窃盗・強盗などが増えているにもかかわらず、政府は治安を維持できない状況にあります。このままでは、国民たちが不安・不満を抑えきれなくなって、1988年のようにデモを始めるかもしれないと見られています。そうなれば、88年より多くの血が流れるかもしれないため、世界のビルマ民主化活動家のあいだでは、今年は危険な年だと言われています。
 国民のこうした危機的状況を受けてか、先月12日、ビルマの第59回連邦記念日に、国民民主連盟(NLD、1990年の国民総選挙で82%の議席を獲得した与党)が5項目からなる特別声明文を出しました。この中で、NLDは、ビルマが民主主義へと平和的に移行するために、軍事政権に妥協案を示しました。内容としては、1990年5月27日に行われた複数政党の総選挙で、国民に選出され、総選挙実行委員会から正式に発表・登録された国会議員を、召集して、国会を開けば、その国会から現軍政を暫定政権として正式に認める、というものです。そうして、国民が自由意志から選んだ国会から政権が成立するまでの間、対話しつつ、民主的政権の成立を進めようとするものです。また、声明は、対話の仲介人が必要であるなら、国民が信頼できる人物をASEAN諸国から選出したいと要求し、こうした提案に対して、ビルマのお正月(4月17日)までに返答が得られるよう軍政を促してもいます。
 NLDのこの声明に対して、今のところ軍政は、黙ったままでいます。一方、世界に散らばるビルマ民主化活動家たちは、この声明を歓迎し、支持する姿勢を見せています。これについて、ASEAN諸国や、国連、日本政府は、どのような動きをとるでしょうか?
 さまざまな事情や経緯から、母国を離れて暮さざるをえなくなっているビルマ人たちは、17年前から「ビルマ人権の日」の記念行事を、毎年、海外で行って来ました。でも、彼らは心の中では、こうした大切な日を自国で迎えたいと思っています。ビルマで「人権の日」のイベントが行われ、人権について、ビルマで想い起こす日が一日も早く来るように、私たちはさらなる努力をしなくてはなりません。

  • 接近する独裁国家 (3月5日)
 今年も、ワシントンポストの付録誌『PARADE』(1月22日号)に、2005年世界最悪の独裁者が発表され、1位にスーダンのオマル アル=バシール、2位に北朝鮮の金正日、3位にビルマのタンシュエがランキングされました。この2位と3位の独裁国家が、近く、国交回復を企てているとのニュースが入りました。
爆破後のアウンサン廟
 ビルマと北朝鮮とは、1983年から国交を断絶してきました。1983年10月9日、ラングーンのアウンサン廟で、韓国のチョン ドゥファン大統領を狙った、北朝鮮の軍人による爆破事件がありました。大統領は無事でしたが、韓国の大臣4人を含む、韓国人17人とビルマ人4人が死亡しました。この事件の実行犯として、1人が射殺され、2人が逮捕されました。逮捕された2人のうち、1人は犯行を認めず、死刑が執行され、もう1人は、北朝鮮のキム ミン チュウ大尉と自白し、無期懲役に科せられました。彼は、現在、インセイン刑務所に服役中です。50歳になり、元気で、ビルマ語を流暢に話しているとのことです。
 韓国では今、議員らが彼を韓国に亡命させる運動を始めました。1983年当時の北朝鮮の機密情報を知るためです。ビルマと北朝鮮が国交を回復すれば、彼の命が危ぶまれるため、韓国側は急いでいるようですが、ビルマがどのような対応に出るかは未だ知れません。
 ビルマの首相ソーウィン将軍は、2月中旬に訪中し、首相会談を行いました。その後、北朝鮮との国交回復の情報が流れたため、この国交回復には、中国が一役かんでいるとみられています。
 拉致問題などで日本人の関心が高まっている独裁国家、北朝鮮と、ビルマとが国交を結ぶことについて、日本政府は、どのような反応を示すでしょうか。

pagetop