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ニュース/コラム
 2005年 

  • 軍政主導の民主化へ、前進? (12月11日)
 12月6日、ビルマのNGO団体、USDA(連邦団結発展協会)が記者会見を行い、USDA書記長兼農務大臣テイウー少将は、USDAがNGOから政党へと変わる可能性を示唆しました。
 USDAは表向きには自らをNGOとしていますが、実態は、1993年軍政自らが組織し、軍政トップのタンシュエ上将率いる軍政翼賛団体です。一般のビルマ人ならば、公務員をはじめ、まともな仕事に就いたり社会的差別を受けないために、強制的にメンバーとならざるをえないため、会員数はビルマ全土で2000万人を越えています。ビルマが国連関係の各種団体の訪問団を迎えたりする際には、USDAを通して各地を案内したり、交流事業をすすめたりしています。このため、軍政当局にとって都合の悪いこと、貧困や人権侵害の実態は隠され、軍にとって都合のよい側面だけが、諸外国に知らされることになります。
USDA集会の様子。参加にはユニフォームを着用しなくてはならない。
また、ビルマでは軍の圧力によって、5人以上の集会が禁じられており、国民民主連盟(NLD)などの政党は、政策アピールなどをするための集会を開くことができませんが、USDAにだけは特別に、公に集会を開くことが許されており、各地で定期的に大きな会合が開かれています。その集会では、軍政に賛同する思想を人々に植付けるために、アウンサンスーチーさんや反軍政活動家の批判などが積極的に行われています。
 さかのぼってビルマの歴史を振返ると、1962年に軍事クーデターによって全権を握ったビルマの前独裁者ネーウィン将軍は、政治政党、ビルマ社会主義計画党(BSPP)をつくり、1988年までの26年間、一党独裁体制を敷きました。ビルマの現独裁者タンシュエ上将も、これと同じ道を歩もうと企てているのでしょうか。
 さて、12月5日から再々々度、軍政主導の国民会議が開かれていますが、軍政発表の“民主化ロードマップ”によると、国民会議によって新憲法が制定された後には国民総選挙が行われることになっています。しかし、ビルマでは1991年にすでに選挙が行われ、国民民主連盟(NLD)が圧勝し与党となったのですが、軍が政権を移譲しなかったために、現在まで軍政が続いているのです。国際社会は今、軍政の思惑どおり、91年の選挙と、NLDが与党であるという確固たる事実を忘れてしまい、無視し続けてしまっています。1988年以降、17年間、民主化活動家たちは、平和的な方法でビルマ民主化活動を続けてきました。民主化が遠のきつつある今、活動家たちは、別の手法を選ぶべきなのでしょうか?

  • ASEAN議長国辞退、引き換えに得た利益はなんですか? (8月6日)
 先月25〜29日、ラオスの首都ビエンチャンで一連のASEAN(東南アジア諸国連合)外相級会議が行われました。ビルマ軍事政権は、26日外相会議中に、2006年7月から予定されていた議長国就任の辞退を表明しました。加盟各国は、これに対して理解と感謝を表し、次の議長国はフィリピンが務めることになりました(ASEAN議長国は国名のアルファベット順に持回り)。辞退の理由として、外相は、新憲法制定や総選挙など、自国の民主化プロセスを進めることに専念したいと述べました。しかし、ビルマでは1990年に国民総選挙が実施され、民主主義政党のNLD(国民民主連盟)が議席の82%を獲得しましたが、現軍政が選挙結果を無視し、選出議員を投獄などしたままになっています。その上で新しく選挙をするとして、90年の選挙は、どうするつもりなのでしょうか?
 今回の議長国辞退の背景には、欧米諸国が、民主化の進まないビルマが議長国を務めるASEAN会議のボイコットを示唆するなどし、欧米諸国との今後の連携に影がさすとの、加盟諸国の懸念がありました。辞退の歓迎は、一方では、「内政不干渉」を原則としてきたASEANに、外圧に屈したような感を残し、また一方では、議長国持回りの順序上、ビルマに早期民主化を促すこともできずに、軍事政権のやり方を容認するのみとなりました。毎日新聞は、次のような見方を示しています。ビルマ「としては就任に固執してASEAN内に亀裂を生むより、辞退を受け入れてASEANに恩を売る形で収拾した方が外交的に得策だと判断した模様だ」。
 ところで、ビルマのASEAN議長国辞退については、日本などで即日ニュースとなりましたが、ビルマ国内では、外相が会議から帰国した後、8月2日に公式発表されました。軍部には、議長国就任を支持するグループと辞退を支持するグループとがあり、今後グループ抗争が起きるのではないかと、国民は不安になっています。昨年10月に前軍情報部のトップ、キンニュン将軍が拘束された頃から、ビルマの国情は極めて不安定で、市街地での爆破事件も数回ありました。現在、今後の混乱に備えようと、国民が食料品などの買いだめに走ったため、物価が高騰するという事態に陥っています。
 さて、このASEAN会議会期中に、ビルマ軍政のもとに、外国政府要人がたくさん訪れました。
李肇星外相(中国)とタンシュエ上将
 25日には、タイのスラキアット副首相が訪れ、外相会議開幕直前に、軍政トップのタンシュエ上将と軍政ナンバー3のシュエマン将軍などと会談を行いました。27日からは、中国の李肇星外相が、突如予定を繰り上げ、出席予定の会議を代行に任せてビルマを訪問、タンシュエ上将、首相ソーウィン将軍と会談しました。ビルマ軍政に対する、タイの経済・政治的影響、中国の経済・軍事的影響は以前から言われており、今回この時期の訪問を見ても、今後とも両国のビルマへの影響力は増すばかりと思われます。
ラモス外相(東ティモール)とソーウィン将軍
(ビルマ国営放送)
また、多くのビルマ人を驚かせたことには、7月21〜25日に、東ティモールのラモス外相がビルマを訪れ、首相ソーウィン将軍・外務大臣・計画経済開発大臣と会談しました。1996年ノーベル平和賞受賞者でもあるラモス外相は、東ティモールの独立運動時代から、ビルマの民主化を積極的に支援する立場を示し、アウンサンスーチーさんの解放を訴え、東ティモールへのビルマ連邦国民連合政府(NCGUB=亡命政権)の事務所誘致を提案するなどしていた人物です。しかし今は、軍政側にたって、諸外国の対ビルマ経済制裁を批判しています。東ティモールは現在、ASEANへの加盟を希望していますが、ビルマ軍政はこれに対して、今のところ消極的な姿勢を示しています。経済的思惑から軍政へ歩み寄ったのでしょうか。なお、東ティモールのシャナナグスマン大統領は、今年5月、ビルマ人からのインタビューに応えて、アウンサンスーチーさんの60歳誕生日によせる、ビルマ民主化運動を支援するメッセージを公表しています。
 さらに、ラザリ国連特使が、会期中にビエンチャン入りし、ビルマ軍政外相ニャンウィン氏との会談を求めました。しかし、多忙を理由に将軍から拒否されました。ラザリ特使は、2000年からビルマ問題を担当しており、アウンサンスーチーさんと会談したり、軍政との仲介をするなど、民主化を促進してきましたが、2004年初頭に軍政が入国ビザ発給を停止したため、現在はビルマに入国できなくなっています。ラザリ特使は、昨年、ウィンアウン前ビルマ外相と、次期ASEAN外相会議で会うことを約束していましたが、前外相は昨年9月に解任され(関連記事:2004年9月20日) 、その後、軍に身柄を拘束されています。
 閉幕日の29日には、ARF(ASEAN地域フォーラム)閣僚会議の場で、ゼーリック米国務副長官が、ビルマに、アウンサンスーチーさんはじめ政治囚の早期解放と民主化の早期実現を求める発言をしました。直後、ビルマ軍政ニャンウィン外相は、「ずいぶん前から、私の国の国名はMyanmar(ミャンマー)に変わっています。Burma(ビルマ)と呼ばないでください」と発言し、民主化プロセスや政治囚解放については、なんら答弁しませんでした。今回のARF議長声明には、ビルマ問題に関して、民主化が進まないことへの懸念の表明、軍政とNLDとの対話実現、ラザリ国連特使への入国ビザ発給再開の呼びかけなどが、盛りこまれました。

  • ビルマ軍政「政治的意見を理由とする逮捕」を認める (7月23日)
 7月11日付ビルマ国営紙Myanmar Timesに、ビルマ内務省ウィンカウン警察庁次長が、インタヴューにこたえ、ビルマ軍政は「7月6日、政治囚約400人を釈放した」と話したと掲載されました。ビルマ軍政は、これまで、ビルマに政治囚はいないとしてきましたが、今回初めて「政治囚を開放した」との表現を用い、関係者の間に驚きが広がっています。Myanmar Timesは、掲載記事について軍から指示・検閲が行われる週刊紙のひとつです。
 今回、解放された政治囚については、これまでのところ、リストが公表されていないので、正確な人数は把握されていません。ビルマ国内の国民民主連盟(NLD)発表によると、341人がリストされているとのことです。また、今回の解放にあたって、注目されていた、NLDの中央執行部ウィンティン氏(77歳)については、開放のリストに挙げられ、インセイン刑務所の入口までは、ほかの政治囚たちと行動を共にしましたが、入口のところで呼び戻され、再び収監されたとのことです。
 NLDの広報ミェテイン氏は、ビルマ軍政は、一方では釈放し、一方では逮捕していると述べています。
これまでも言われてきたように、軍政は、囚人釈放の発表はしますが、逮捕については公表しません。したがって、通常は、釈放のニュースのみが聞こえてくることになります。しかしながら、実際は、政治的意見を理由とする逮捕は、日々行われており、さらに、軍当局の拷問により政治囚が死亡されられるなどの惨事も、おきています。NLDに関連する最近の逮捕だけでも、次のとおりです。7月6日、モンユワ・モゴックにおける2003年アウンサンスーチーさん遊説のビデオを見たため、ザガイン管区キンウー地区の議長ウィンアウン氏ほか2名を逮捕。7月12日、ラングーン管区タンニェン地区のNLD集会に、5人以上が集まったため、集会場を提供したタンニェン地区副議長チッスウェ氏を逮捕。バゴーのNLDメンバー3名を、BBCビルマ語放送を聞いたため、逮捕。
 なお、かつては政治囚逮捕の指揮を執っていた前軍情報部のトップ、キンニュン氏は、昨年10月に軍に逮捕され、今月22日、汚職などの罪で禁固44年の有罪判決を受けました。しかし、今もなお、軍部による、政治的意見を理由とする迫害は続き、ノーベル平和賞受賞で世界的に有名なアウンサンスーチーさん、90年国民選挙で与党となったNLDのティンウー副議長をはじめ、1000人以上の政治囚たちが、未だ拘束されたままです。

  • 日本の税金が軍事政権へ、こんなかたちで、こんなタイミングで! (7月1日)
 日本政府からビルマ軍事政権に対して、政府開発援助(ODA)として新たに総額11億8,600万円までの無償資金協力が行われることになりました(内訳は、「中央乾燥地植林計画」2億9,300万円、「人材育成奨学計画」4億8,400万円、「日本・ミャンマー人材開発センター建設計画」4億900万円。詳細は、外務省ホームページ内プレスリリース参照)。
ビルマ国営放送より
 この件で6月27日、ラングーンにおいて、軍事政権のソータ国家計画経済開発大臣と小田野展丈駐ビルマ大使との間で書簡の交換が行われ、ビルマの国営新聞・テレビに大きく報道されました。このことは、ビルマ軍政にとって、「日本政府は我が国の援助国である」という、よいアピールとなりました。先月19日、軍政から拘束され続けているアウンサンスーチーさんが60歳の誕生日を迎え、各国政府や平和活動に関わるNGO・著名人から声明文が出され、ビルマ軍政は、強い国際的非難を受けているところでした。
 日本政府は、2003年6月25日にアウンサンスーチーさんらをビルマ軍政が拘束したことを受けて、ビルマへの新規ODAを凍結しました。以来2年以上、現在も、アウンサンスーチーさんは拘束され続けています。
 「人材育成奨学計画」について、外務省の説明によると、過去に長期間、ビルマ政府によって大学閉鎖がおこなわれたことなどから、将来を担う人材育成ができていないため、ビルマ政府から、日本への留学支援を行う無償資金協力の要請があったとのことです。さらに、育成された人材が、将来のビルマの民主的国造りを担うリーダーとなることなどに期待をよせているともしています。 しかしながら、過去に大学閉鎖を行った政権は、現軍政で、そのトップは今も変わらず、タンシュエ上将です。留学生の選考は軍政当局が行うため、何らかのかたちで軍事政権と関連がある人物しか、この教育機会を得ることはできません。1990年の国民総選挙の結果による民主的政治への政権移譲を拒みつつけている現ビルマ軍政に、将来の民主的国家ビルマをつくり、担うことができる人材を、正しく選ぶことができると、日本政府は考えていることになります。
 一方でまた、日本政府は、ビルマからの難民受け入れを行っており、民主化活動を行っているため帰国すれば迫害される危険がある人物を難民として認定していますが、こうした難民への教育支援は行っていません。欧米では、政治難民に対する教育支援は一般的なこととして行われています。日本政府は、ビルマという国の将来と今後の日本との国交について、どのような見通しから、人材育成援助を行っているのでしょうか?

  • 侵略に備えて? (6月27日)
 ビルマ軍指令本部と5省庁(農務省、エネルギー省、情報省など)が、今年10月いっぱいで、首都ラングーンから、マンダレー管区南部の街ピンマナに移される予定です。
 このプロジェクトは2001年から秘密裏に進められており、ピンマナにはすでに新庁舎が建てられ、病床数1000床の収容設備がある病院や新空港も完成しています。これらの建築を請負ったのは、Htoo Trading Co Ltd と Yuzana Co Ltd の2社です。Htoo Trading Co Ltd は、中国へのチーク材輸出や、中国からの装甲車輸入などを行っており、社長のTay Zaは、ビルマ軍政トップ、タンシュエ上将の娘婿にあたる人物です。Yuzanaの社長Htay Myintとあわせて、このふたりは、軍政の経済政策から多大な利益を受けている人物として、国連とEU諸国の制裁指定を受けています。
 今回の移転について、関係省庁の公務員たちは、必要性が理解できないとし、短期間での移転のため、業務上の混乱が避けられないとしています。しかし、軍政当局からの移転命令を拒否すれば、解雇されるとのことです。
 首都ラングーンは沿岸域に位置しており、侵攻が容易いため、予め機能を内地に移すのだろうとの見方が、ラングーンでは広まっています。

  • 爆破事件から1ヶ月 (6月7日)
  5月7日のラングーン3ヶ所同時爆発事件から今日で1ヶ月です。このひと月は、毎日のように、どこそこで爆発があったとか、爆弾が仕掛けられたとの情報が、人々のあいだで飛び交い、安全を奪われた人々に、不安な生活が続いています。ビルマ国内は、軍による情報規制が厳しいため、市民は正確な情報を得ることができません。昨日は、2つの高校に爆弾が仕掛けられたとの噂が流れ、子どもたちを迎えに学校へ向った車で、ラングーン市街地は、大渋滞となりました。
 街では軍や警察がパトロールを行っていますが、市民にとっては、これも生活を脅かすもののひとつです。軍事政権下では、独裁者たちの思惑どおりの法制度や警察権力がしかれているため、軍や警察が、市街でセキュリティーチェックを行ったり、家宅捜索をすれば、誰が何の容疑でいつ逮捕されるとも知れないのです。現に、元政治囚たちが、セキュリティーの名目で、再び人権侵害を受けはじめています。
 事件の当日、軍政当局は異例の迅速さで記者会見を開き、爆破は、タイ国境を拠点とする複数の反政府(民主化活動)団体による犯行と発表しました。名指しされた各団体は、すぐに犯行の関連性を否定する声明を出しました。軍政は、また、CIAを示唆しつつ、これらの民主化活動団体を技術的・金銭的にサポートした団体があるという会見を行いました。これを受けてアメリカは、ビルマへの経済制裁の1年延長を決定しました。さらに、軍当局の発表によると、爆発事件に用いられた爆弾の火薬(RDX)は、隣国では使用されているが、国内で使用されていないとのことでした。しかし、ビルマ国内には、RDXを使用した爆発物を扱う、中国系武器販売会社 China North Chemical Indusries Corporation の事務所があり、この会社はビルマ軍や北朝鮮と取引をしているといわれています。
 軍は、病院のスタッフに、マスコミに何も言わないよう
Harn Lay (The Irrawaddy)
命令しました。

 爆発事件の被害者は、軍政発表によれば死者19人負傷者162人ですが、事件直後から、国内の人々によって被害状況が映像とともに報告されており、 これまでに調べたところでは、死者は70人を超えています。日本国内のメディアの中には、一部、ビルマ軍政発表どおりの報道で、反政府団体による犯行によってビルマは不安定な状況に陥ったとの解釈をしめすものが見られました。しかし、ビルマ人たちは、この爆発事件について、性能のよい爆弾が、市街地に設置され、市民が被害を受けていることなどから、犯行は、現在自宅拘束中の前首相キンニュン将軍の派閥か、現軍政によるものという見方を強めています。現軍政の犯行という見方では、この爆発事件による国情の不安定を、ASEAN議長国辞退の理由にするのだろうとの声もきかれます。

  • ビルマ軍政、行き当りばったり (5月3日)
 今年2月17日にビルマで再々開した国民会議は、3月31日、再び中断されました。
 ASEAN加盟諸国では今、2006年ビルマの議長国就任の是非をめぐって意見が分かれています。内政に干渉すべきでないとする、カンボジア、ラオス、などの国々。軍政国家が議長になれば、欧米諸国との今後の連携に影がさすと不安を示す、フィリピンやシンガポール。この件に関しては、ビルマ軍政も対応に策をめぐらせている様子で、軍政トップのタンシュエ上将が外交に国外まで直接出向くという異例の事態も見られました。議長国就任をめぐる問題が大きくなり、国際的に注目されて、議論が深まっていくことを最も危惧しているのは、ビルマ軍政でしょう。問題が大きくなる前に、辞退するのではないかとの声もあります。
 アメリカでは、駐米ビルマ大使館員のビルマ人2名とその家族が、難民申請しました。アメリカは、ビルマ軍事政権に反対姿勢を示し続けている国です。かつて、軍政から信頼を受けて、この国の大使館員に任命された軍政高官2名が、今、ビルマに帰国することを拒み、難民申請に至ったのです。ビルマでは昨年10月、当時ビルマ軍政ナンバー3だったキンニュン将軍が、軍に拘束されて自宅軟禁となり、以来はっきりした消息が知れていません。彼の勢力圏内にあった軍関係者たちは、その後、次々に拘束され、軍の裁判によって刑を科せられています。軍高官でさえ明日は知れぬ身という、たいへん不安定な国情です。
 いったい何人のビルマ人によって、このような国情が望まれ、生み出されているのでしょうか。

  • 今日は何の日? (3月13日)
 17年前の3月13日、ビルマで1人の学生が殺されました。この事件をきっかけに、ビルマ民主化運動が始まりました。
 3月12日、ラングーンの喫茶店で、大学生と町の若者との間に揉め事が起こり、喧嘩になりました。若者が町の有力者の息子だったために、警察は、この喧嘩に不公平な対処をしました。13日、ラングーン工科大学の学生200人以上が、抗議の行進を行います。平和的行進だったにもかかわらず、警察機動隊が出動し発砲。学生の1人、ポウモウさんが射殺されました。このとき、他の学生たちも負傷し、3日後までに死者は6人になりました。3月16日、警察の横暴な対処に反感を抱いたラングーンの学生たちが、デモ行進を計画しました。ラングーン大学に集まった学生たちは、工科大学へ向かいましたが、途中、インヤー湖のほとりで、軍と警察機動隊の妨害に遭いました。軍と警察による暴力と発砲に、100人を超える学生が命を落としました。インヤー湖にある通称「白い橋」は、学生たちの血に染まり、この日以来「赤い橋」と呼ばれることになりました。また、軍はこの日、拘束した学生を護送車に無理やり押し込み、刑務所に到着するまでに41人を窒息死させました。
 ポウモウさんの死から1年後、3月13日は、民主化を求める人たちによって「ビルマ人権の日」と定められました。それから17年経った今も、依然、ビルマの人々の人権は、軍によって侵害され続けています。

  • ネーウィン氏はまだ死んでいない (3月2日)
  1962年3月2日に、ネーウィン将軍が軍事クーデターを起こして、ビルマ国民が自由を失ってから、今日で43年になりました。その日、ビルマは民主政府から軍事政権に替わりました。その後ネーウィン将軍は、民間資本のすべてを国有財産とし、1947年以来の憲法を無効としました。1974年にはビルマ社会主義計画党(BSPP)を設立し、軍隊を引退したネーウィン氏が議長を務めました。ビルマは、1987年、世界最貧国のひとつになりました。
 88年の民主化デモの際、ネーウィン氏は「軍が(デモ行進に向けて)発砲するとき、空中へ威嚇射撃はしない。当たるように撃つ」と国民に公言しました。この年7月、BSPPを引退したネーウィン氏の後継者となったセインルウィン氏は、民主化活動家の殺害を指揮し、大勢の学生や民間人が惨殺されました。それでも、ビルマの民衆が民主化運動を続けたため、ネーウィン氏の部下、ソーマウン将軍、タンシュエ将軍、マウンエイ将軍、キンニュン将軍らは、9月18日に国家法秩序回復評議会(SLORC)を設立し、再度、軍事クーデターを起こしました。SLORCは「90年に国民総選挙を実施し、選挙後、軍は兵舎に戻る」と公約しましたが、選挙の結果 与党に選ばれた、アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟(NLD)に政権を移譲せず、軍は未だに政治介入を続けています。
 ネーウィン氏は、2002年に死亡しました。ネーウィン氏は“順序良く”ビルマという国を崩壊させ、悪い遺産を残しました。なかでも、彼が遺した政策と原則は、現在も軍部に“正しく”引き継がれ、ネーウィン氏が今も生き続けているかのようです。

  • ビルマに吉凶、タイの新政権 (2月10日)
 ビルマ軍政の首相ソーウィン将軍が、タイのタクシン首相に祝辞を贈りました。タクシン首相ひきいるタイ愛国党は、2月6日実施された総選挙で圧勝し、タイ憲政史上初の単独政権樹立が騒がれています。
 タクシン首相は、前任期の4年間にビルマ軍部と親しくし、タイ-ビルマ間の経済関係は強くなりました。彼の家族が経営する会社 Shin Corporations は、携帯電話・衛星放送の分野でビルマ国内に進出しています。昨年12月、ビルマ軍政トップ、タンシュエ上将との会談後には、記者会見で「アウンサンスーチーさん拘束を続けるのは正しい指針」との見解を示しました。また、2月17日に再開されるビルマ国民会議を支持し、これによってビルマの民主化が発展すると話しました。
 このように、タクシン首相はビルマ軍政と密接な関係にあるため、タイに逃れているビルマ人民主化活動家たちの今後の苦労が懸念され、さらには、タイ-ビルマ国境の少数民族難民キャンプや移民労働者に対する、過酷な法が加えられるのではないかとも、心配されています。
 タイ愛国党の圧勝は、「ビルマ軍政に吉、ビルマの民主化を望む人々に凶」という言葉が、はやくもビルマ民主化活動家たちの間で言われています。

 1月11日、国民会議実行委員会議長テインセイン中佐は、2月17日に国民会議を再招集すると発表しました。 この「国民会議」は、軍政から選出された1088人からなるもので、昨年5月17日から7月9日まで、およそ2ヶ月間開かれていました。その間に決議した案件はありませんが、当局は、農期に入ったことを理由に会議を中断していました。この会議には、1990年の国民総選挙で議席を多数とった、国民民主連盟(NLD)やSNLD、その他の少数民族が構成する政党の議員は、参加していません。
 書記長アウンサンスーチーさんを軍によって自宅拘束され続けているNLDは、12日「2月17日からの会議にも不参加」の態度表明をしました。

  • 何のための解放?独立? (1月4日)
 1月4日のビルマ独立記念日のために、軍事政権は、いわば恩赦として、1月2日より5588人の囚人を解放しました。昨年、軍政は、11月18日から3937人、同25日から5311人、12月11日から5070人、計14318人を「国家情報局が誤って拘束した人々」として解放しました。これら19906人の解放者のうちに、政治囚は84名含まれていました。解放者全体の、実に1%にも満たない人数です。一方でまた軍政は、11月18日からこれまで2ヶ月弱のあいだに、民主化運動に関わった人など26名を、新たに拘束しました。現在、ビルマの刑務所の中には、1350名を超える人々が政治囚として拘束され続けています。
 2005年1月4日は、第57回ビルマ独立記念日です。ビルマ国民は、57年前の今日、イギリス植民地下から解放されましたが、今もまだ、自由を享受できずに、軍事独裁政権の下で苦しめられています。この状況は、「第2のビルマ独立闘争」とさえ呼ばれています。

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