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ニュース/コラム
 2004年 

  • 人権無視のアジアへ? (12月2日)
 軍によって自宅に拘束されているアウンサンスーチーさん宅に、11月27日警察が訪れて、今後1年は拘束を継続するというような内容の文書を読み上げました。このことは、報道規制の厳しいビルマで、軍や民主化の動きに注意している民間ジャーナリストが、アウンサンスーチーさん宅周辺で、文書の読みあげを聞いたため、明らかになりました。国民民主連盟(NLD=アウンサンスーチーさんが書記長を務める政党)のウー ルウィン広報官がこの事実を確認していますが、通告内容については、当局からNLDへの通達はなく、国営放送を通じた軍政からの公式発表もないため、明確には分かりません。
 ビルマの民主化リーダーでノーベル平和賞受賞者でもあるアウンサンスーチーさんは、昨年5月30日ディペーイン虐殺事件の際に、軍に連行されて以来、何の法的根拠も示されず、裁判も行われないまま、現在まで拘束され続けてきました。今回の措置にも、何の正当性もみられません。10月末の政変直後、軍政SPDCのシュエマン将軍が前首相キンニュン将軍の汚職を批判して、「人は法律の上にいない。人は皆、法律のもとにいる」という内容の発言をしました。しかし今、軍は、確実に、法の上に存在しています。
 11月29、30日とラオスで開催されたASEAN首脳会議において、タイのタクシン首相は、ビルマの首相ソーウィン将軍と会談し、今回の措置について問いただしました。新首相ソーウィン将軍の返答は、27日朝に国を離れたので情報を確認できていない、というものでした。日本の小泉首相は、29日夜にビルマと会談しましたが、この時点で27日のビルマの動きを知りませんでした。そのうえで、国際社会がビルマの動向に注目している、とか、日本政府の意向は最高実力者のタンシュエ上将に伝えたい、と発言しました。翌30日、昼食会の席で2人は再度接触しましたが、小泉首相から、事態を追及する姿勢はみられませんでした。会議後の議長声明には、ビルマの民主化問題について、一言も触れられませんでした。ASEANには内政不干渉の原則があるとはいえ、異様な事態といえるでしょう。
 ASEAN首脳会議と時期を同じくして、ビルマ国内で「第3回ASEAN女性問題小委員会」が開催され、ASEAN加盟各国の女性代表者たちが集まりました。ビルマからは、ビルマ女性委員会(MWAF)の名誉会長で、軍政ナンバー3のシュエマン将軍の妻キンレーテッと、新首相ソーウィン将軍の妻タンタンノエ会長が参加しました。ビルマ軍による少数民族女性への組織的レイプは、国連総会で取り上げられるほどの問題になっていますが、今回の会議で、ビルマは議長国として、何を話したのでしょうか。会場となったSedonaホテルは、アウンサンスーチーさんの自宅から徒歩10分ほどのところにあります。

  • ニュースの見出し「軍政が囚人約1万人を解放」を、どう読みますか? (11月28日)
 ビルマ軍政は、25日「新たに囚人5311人を釈放する」と発表し、18日からの解放者3937人とあわせて、28日夜までに、計9248人を解放したと公表しました。
 解放者には、2005年に刑期満了となる人や、妊婦、60歳以上の高齢受刑者などが含まれていたことが確認されています。しかし、解放された政治囚は、約30人にとどまっています。政治囚たちの家族は、この10日間、連日、刑務所の前につめかけて、解放を今か今かと待っていましたが、ほとんどは徒労に終わりました。ビルマの刑務所には、いまだ、約1400人の政治囚が拘束され続けています。
 今回、解放の対象となった多くは、軍人や警察官、財界人です。これらは、先月キンニュン将軍の更迭にともなって廃止された国家情報局が、かつて拘束した人々です。一方、キンニュン将軍と親密な関係にある人々は、将軍の更迭後、拘束されました。
 「ビルマ軍政、囚人を解放」のニュースに、欧米や国連は、すべての政治囚とアウンサンスーチーさんを解放するべきとの声明を出しました。日本からの態度表明はありません。明日から、ASEAN首脳会議が開催されます。加盟国からどのような声明が発表されるでしょうか。

  • 学生リーダー、15年8ヶ月ぶりの帰宅 (11月20日)
 1988年の民主化運動リーダーとして活動の指揮をとり、のちに政治囚となったミンコーナインさん(全ビルマ学生連盟の議長)が解放され、19日夜8時、自宅に戻りました。家族の話によると「微熱があるが、体調はおおむねよい。(1989年3月23日に軍情報局に拘束されて以来)窓のない狭い独房にいたため、視力が衰えている。近日中に健康診断を受ける」とのことです。19日解放された囚人約600人のうちに、政治囚は、21人含まれていました。1400人以上いる政治囚全体からみれば、少数に過ぎませんが、解放された方とご家族の喜びは、言葉に表せないほどのものでしょう。こうした事態に、国連事務総長は歓迎の意を発表し、国際的人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルも、即座に反応を示しました。
 キンニュン将軍を拘束した翌日から、ビルマから喜ばしいニュースが次々と聞こえるようになりました。ビルマ国営新聞からは、民主化運動家を揶揄する記事が消えました。軍で内部査察が行われ、権力をむさぼってきた軍人たちが逮捕されました。軍みずから過去の過ちを認め、民主化活動の学生リーダーも解放しました。しかしながら、軍が政権をにぎって来たこの16年間、ビルマ国民たちは、平穏な生活への希望を裏切られ続けてきました。国民総選挙の結果は無視され続け、解放された政治囚は再逮捕され、国際社会の反応と金銭の動きばかりを気にする軍政に、抑圧され続けてきました。最近の動きを、喜ぶことに変わりはありませんが、これまでの軍政のやり方を知る限り、慎重な姿勢はくずせません。
 ただし、こうしたひとつひとつの措置に国民が喜び、嫌悪の対象となっていた軍に歓迎の気持ちさえ抱き始めている、今は、軍にとって方針転換のチャンスといえます。すべての政治囚とアウンサンスーチーさんを解放し、1990年の国民総選挙で与党に選ばれた国民民主連盟(NLD)との対話をはじめれば、軍はこれまでの不名誉を挽回して、国は、軍事国家から民主国家へと移行していくでしょう。この好機を、現軍政は、活かすことができるでしょうか。
 今、政治囚たちの家族は、眠れない日々を過ごしています。解放者のリストも解放日時も発表されていないため、自分の家族がいつ解放されるかと、仕事を休んだり、刑務所の前につめかけたりして、待っているのです。

  • ビルマの囚人は、人権ある人間か、軍の道具か? (11月19日)
 ビルマ軍政が、18日夜の国営放送で「囚人3937人を釈放する」と発表しました。解放は、18日から全国39ヶ所の刑務所より、順次行われるとのことです。
 先月18日、前首相キンニュン将軍の更迭から、ちょうど1ヶ月経ちました。今回の措置は、現政権に好印象を加えることが目的かとみられています。解放者のリストはまだ明らかにされていませんが、当局の説明によれば、解放の対象は「かつて国家情報局に誤って拘束された者」です。それならば、現在ビルマ国内に約1400人いる政治囚たちを全員解放するのか、これまでのように、「解放」のニュースを報じた後、国際的関心が薄れてから、再び同人を拘束することはないのか、また、アウンサンスーチーさんの拘束は解かれるのか。この措置が「アピール」に過ぎないか否かを見極めるためには、やはり、今後の行方を注意深く見守る必要がありそうです。

  • どうするMI職員 (10月31日)
 9月18日、ビルマ軍事クーデターから16周年の日に、外務大臣等の入替人事がありました。それからちょうど1ヶ月が過ぎた10月18日、首相キンニュン将軍が、任期14ヶ月にして、健康上の理由で首相を引退すると発表されました。いずれの人事も、国民の意思や政治家によるものではなく、軍政、なかでも実権を握るメンバーからなる国家平和発展評議会(SPDC)の意向によってなされたものです。
 新首相には、SPDC第一書記ソーウィン将軍が就任し、新SPDC第一書記には、現在、国民会議実行委員会の議長を務めているテインセイン将軍が就任しました。ソーウィン将軍は、USDA(連邦団結発展協会=軍政が自ら組織する、軍政翼賛会のようなもの)の総裁で、昨年5月にアウンサンスーチーさんらを襲撃したディペーイン虐殺事件の責任者として知られています。また、かねてから「軍はアウンサンスーチーさんとは対話しない」「NLD(国民民主連盟=90年の国民総選挙で与党に選ばれた政党)には政権を移譲しない」と主張してきた人物です。この新首相が、就任から1週間後、SPDCのシュエマン将軍とともに、軍と経済界の要人を集めて、「キンニュン前首相は、SPDCの方針に従わず、また収賄行為のため、逮捕された」と発表しました。キンニュン将軍の排斥によって、軍では、クーデター以降16年間地位を保持し続けているのは、タンシュエ上将とマウンエイ将軍の2人のみになりました。首相と軍情報局(MI)長を兼任していたキンニュン氏が逮捕された後、軍情報局の権力者たちが次々と逮捕されています。キンニュン氏寄りの軍情報局員や贈収賄を行っていた人たちは、現在、国内のほかの街や国境へと逃亡を始めました。
 さまざまなメディアで、キンニュン氏は「穏健派」と呼ばれていますが、彼が率いる軍情報局こそが、反政府活動家や民主化運動化、政治家などを拘束し、拷問してきました。国民は、彼や軍情報局を嫌っています。ところが、国境地帯で活動を続けてきた民主化活動家グループは、逃亡してくる軍情報局員を歓迎しています。以前は自分たちに拷問などしていたけれども、今は軍政から逃げる同じ立場にあり、ともに国が変わるために努めたいとしているのです。1988年民主化活動の学生リーダー、モーティーズン(現在アメリカに亡命)さんが運営するDFB(ビルマ民主連合)は、世界中のビルマ大使館の職員に、ビルマ民主化のために活動しようと呼びかけました。なぜなら、世界のビルマ大使館には、キンニュン氏寄りの人が多く、今ビルマに呼び戻されることを恐れているからです。このため、もしも、このような人たちが帰国を望まない場合には、その国で難民になれるようにサポートすると、そして、ビルマが民主的な国になるように、ともに活動しようと呼びかけたのです。
 不正な方法によって権力を握ってきた人々は、復讐を恐れて、いつまでも権力を手放そうとしない、と言われます。今回のビルマ民主化活動家たちの反応は、彼らが求めているのは真に平和な民主国家であって、そのために、憎しみも抑制し乗り越える準備ができていることを示しているのではないでしょうか。

  • ロンジーをかぶった軍人 (9月24日)
 ビルマ国営新聞に、首相キンニュン将軍の記事が掲載されない日は、ほとんどありません。しかし、今月17日シンガポールからのウィンアウン前外相との帰国後、約1週間、彼の記事がありませんでした。23日、タイ保健大臣との会見記事で久々に姿を見せます。このとき、隣には、新外務大臣の姿がありました。
 ビルマ人たちが驚いたのは、新外務大臣ニャンウィン将軍が、ロンジーという伝統的なビルマ服で出席していたことです。ビルマでは、軍に所属する人は、たとえ公務員でも、1年間は軍服を着用しつづけるのが通例です。キンニュン首相は、今でも軍服です。さらに驚いたことに、軍の肩書きも、やはり1年間は維持されるはずですが、記事中にありません。9月18日の就任ニュースでは「Minister for Foreign Affairs Maj-Gen Nyan Win(外務大臣 ニャンウィン将軍)」と記載されていましたが、23日の新聞には「Minister for Foreign Affairs U Nyan Win(外務大臣 ニャンウィン氏)」となっています。ビルマで「U(ウー)」は、一般の年配男性に用いる敬称です。外務副大臣も「Col Maung Myint(マウンミン大佐、18日記事)」から「U Maung Myint(マウンミン氏、23日記事)」へと変わっています。
 数年前、ビルマで流行ったジョークがあります。―――早朝の新聞社に、政府から短い電話が入り、ひとつの方針変更が伝えられて、原稿が訂正されると、新聞のページ数は半分になっていた。なぜだかわかる?軍人の肩書表示をやめて、全部「U」にしたのさ、「ドゥーティヤボージョームージー(国軍副司令官)」だけでも、何分の1になったかな!?―――。ビルマには国営新聞しかなく、紙面のほとんどは、軍の関連記事で埋まっています。
 ジョークはさておき、今回の変更は、10月開催のASEMを意識してのことでしょうか?

  • ビルマ軍靴の音はASEM(アジア欧州会議)に聞こえているか (9月20日)
 1988年9月18日、ビルマに軍事クーデターが起こり、軍が国の全権を握りました。以来、この時期には毎年、何らかの内閣改造が行われてきました。2004年は、外務大臣、農業・森林大臣、運輸大臣に交代がありました。特筆すべきは、新任のニャンウィン外務大臣が、将軍から入閣した点です。これまで、外相には、大使などの役職経験者が就任してきましたので、今回のこのようなことは、ここ16年間で初めてです。
 10月に開催予定のASEM首脳会議に、ビルマは、首相ではなく外相級が出席するという条件付きで、参加が認められています。今月ASEAN諸国は、ウィンアウン前外相の出席で合意しました。この時点での、こうした外相交代です。ビルマ軍政の世界に対するチャレンジとも見えます。今ビルマでは、民主化の匂いが消えて、軍靴の音だけが高らかに響き始めたようです。将軍から外相に就任したニャンウィン新大臣と、ASEANのリーダーたちは握手をするのでしょうか?また、EUはどのような反応に出るでしょうか?
 軍政からは、ウィンアウン前外相は定年退職と発表されましたが、実際は解雇されたという見方が強まっています。今後ウィンアウン氏が海外に出ることはあるでしょうか?彼の前任オンジョー元外相は、現在ビルマから亡命しています。

  • 首相就任1周年! (8月25日)
 キンニュン将軍がビルマ首相に就任して以来、今日で1年が経ちました。しかし、国は未だ民主化されず、今後の見通しもたっていません。「首相に時間を下さい。100日以内に国が変わります。」、首相就任の際に、軍政寄りの人々は言いました。実際は、1年たった今も、何も変わっていません。就任時のこの言葉は、笑い話になりました。
 昨年5月31日のディペイン虐殺事件の後、キンニュン将軍は首相になりました。この1年の間に首相は、近隣のASEAN諸国を訪れ、国を民主化するという内容の不明瞭なロードマップを発表し、アウンサンスーチーさんを1年以上、自宅に拘束し続けました。一部の武装グループとの対話、国民会議の再開は試みられたものの、結果は何も現れてきていません。民主化活動グループや少数民族グループとの平和的対話は、実現されていません。将軍の首相就任は、「政治のなかに軍人が位置を占めておくこと」「国内外に、ビルマ政府には軍が関わることを示すこと」を目的としている、と見られ始めているようです。

  • インドの若者が「知る」ビルマ、日本の若者が知る「ミャンマー」 (8月7日)
 インドの首都ニューデリーで、公立中学校1年生の教科書に、アウンサンスーチーさんについて記述されることになりました。そこには、次のようなことが記載されています。
 「アウンサンスーチーさんは、非暴力主義で1991年にノーベル平和賞を受賞した。インドの隣国ビルマは、軍事政権下にあって、インドのように自由な国ではない。ビルマがイギリス植民地から独立を得たのは、インド独立のわずか数ヶ月後のことだが、1962年の軍事クーデター以来、教育・政治・経済などさまざまな点で、インドに大きく遅れをとることになった。1988年、ビルマで学生を中心とした民主化運動が始まり、以来、軍が民主化活動家を殺害するようになったため、たくさんの学生や政治家がインドや周辺国へ避難し、政治難民となっている。1990年の国民総選挙で勝利したのは、アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟(NLD)だが、軍はそれを認めず、アウンサンスーチーさんや政治家たちは、今も拘束・投獄されたままでいる。」
 インドでは、教科書の内容は、州の教育委員会が決めることになっています。インドでは、教科書にアウンサンスーチーさんの記載がなされましたが、一方、ビルマでは、ビルマ独立の父、アウンサン将軍(アウンサンスーチーさんの父親)の名前が、軍事政権によって、教科書から少しずつ削除されていっています。ビルマでは、軍が教育方針を決めるようになってから、自由な教育が行われなくなりました。
 日本では、今、子どもたちが「ビルマ」という国名を知りません。教科書にも地図にも「ミャンマー(軍事政権が1989年に独断で変更した自国の英称)」とだけ記載され、日本のマスコミも、ほとんどは、この呼称を受け入れて使用しています。自由な教育がなされているはずの日本で、とても残念なことです。

  • ビルマで、はじめての署名キャンペーン (8月3日)
 国民民主連盟(NLD、1990年の国民総選挙で82%の議席を獲得した政党)が、現在ビルマ全土で署名活動を展開しています。内容は、1.NLDのすべての事務所を再開すること、2.NLD書記長アウンサンスーチーさんとNLD副議長ティンウーさんを解放すること、3.すべての政治囚を解放すること、の3点。
 多くの学生や僧侶、国民たちが、NLD会員のところで署名しています。ビルマの芸能人たちも署名しました。この署名活動に参加したことで逮捕されたというニュースは、まだ入ってきていません。もしも署名者を逮捕するなら、刑務所の収容人数が足りません。ビルマ国境に鉄格子を作るしかなくなるでしょう?! キャンペーンの結果、国民の気持ちに軍事政権はどのような反応を示すでしょうか。

  • アウンサンスーチーさん59歳のお誕生日おめでとうございます (6月18日)
 6月19日は、アウンサンスーチーさんの誕生日です。彼女がビルマ民主化のために政治の世界に入ってから、16年が経ちました。この間に3度、軍事政権によって自宅などに拘束されました。拘束状態で誕生日を迎えるのは、今回で8回目になります。
 ビルマ国内外で人々は、彼女が健やかで1日も早く解放されるようにと祈っています。

  • 求人情報:【職種】大統領 【応募資格】軍隊で20年以上の経験を有すること (4月22日)
 4月17日、ビルマの元日に、軍政によって1年近く封鎖され続けていた国民民主連盟(NLD)の本部事務所に、再開許可が出ました。世界に、「近日中にアウンサンスーチーさん解放か」のニュースが流れました。また、この日NLDは、「5月17日に開催される国民会議の内容が、1996年に中断した時と同様なら、会議には参加しない」という声明を出しました。
 19日、国民会議実行委員会の議長テインセイン中佐は、「今回の国民会議は、1996年に中断された時点からの再開とする」と発表しました。アウンサンスーチーさんは、22日2時現在、未だ解放されていません。
 9つの少数民族の政治的集団からなる民族連盟(UNA)は、「NLDが国民会議に不参加なら、我々も参加しない」との声明を出しています。国連のアナン事務総長は、4月1日の時点で、NLDとアウンサンスーチー女史の出席がない場合には国民会議を承認しないと話しています。
 1996年に中断された国民会議に関して、構成員の不公正さについては、4月1日付ニュースのとおりです。また、この会議で審議・決議がすすめられていた新憲法には、次のような内容が含まれています。「大統領は、20年以上の軍事経験者でなければならない」「法務大臣・防衛大臣・国境警備大臣は、いずれも軍人からなり、任命は軍部が行う」「国家の緊急時には、軍部が独自に国家声明を出すことができる」「外交には軍部があたる」。

  • 「なにが再開されるのだろう?」 (4月5日)
 国連のアナン事務総長は、4月1日、ビルマ軍事政権に対して、次のことを要請しました。「ビルマで再開される国民会議のために、ビルマ民主化活動のリーダー、アウンサンスーチー女史と、国民民主連盟(NLD)の幹部を早急に解放すること」「国民会議に、すべての政党とあらゆる少数民族の代表を参加させること」「会議で言論の自由を保障し、民主化活動を平和的に行うこと」。また、国民会議開催日の発表の後、日本・イギリス・アメリカの3カ国が、当局に、アウンサンスーチー女史とNLD幹部の早急な解放を要請しました。さらに、アムネスティ・インターナショナルからは、投獄されている国会議員と政治囚の解放が、当局に要請されています。
 国民会議「再開」まで1ヶ月余。これまで政治活動を妨害されてきた、NLDをはじめとするビルマの人々にとって、国民会議に向けた準備の時間は、あまり残されていません。しかし、アウンサンスーチーさんとNLD幹部の解放に関する当局の方針は、未だ不明瞭で、NLD事務所の閉鎖も、すでに10ヶ月を越えています。これだけを見ても、ビルマ国内の政治活動は、正常に行われているとは言えません。
 1993年からの国民会議は、民主化に至ることなく消滅しました。「今回『再開』される国民会議は、真の民主化に向かうのだろうか?」 これまで長い間、抑圧・迫害され、期待を裏切られ続けてきた多くの民主化活動家たちは、現状を見る限り、「信用できない」と言います。

  • 国民会議「開催日」発表 (4月1日)
 ディペーイン事件から丁度10ヶ月にあたる3月30日、「国民会議をラングーンで5月17日に再開する」「会議に参加する代表者をこれから招集する」と、軍政のメディアを通じて、国民会議実行委員会の議長テインセイン中佐の署名で、発表がありました。誰が「代表者」として召集されるのか、国民民主連盟(NLD)が82%の議席を獲得した'90年の国民総選挙の結果は正しく反映されるのか、などについては不明です。
 「再開」といわれるとおり、国民会議は1993年3月9日に始められました。しかし、軍政主導で行われたため、1995年にNLDの議員たちがボイコットし、1996年に中断しました。このときの国民会議は、'90年の選挙結果を反映せず、NLDから86名と、軍政から選出された547名によって、構成されていました。
 今回再開される国民会議は、2003年8月30日にキンニュン首相が発表した、7段階からなるロードマップの第1段階です。ロードマップには、新憲法を制定し、総選挙を行い、国会を開催して政府を選出するという重要な4項目が含まれています。しかしながら、このロードマップと国民会議の再開に賛同しているのは、軍政と、軍政と停戦協定を結んだ少数民族武装グループだけです。
 9つの少数民族の政治的集団からなる民族連盟(UNA)は、1993年の国民会議再生に過ぎないと、ロードマップに反対しています。また、NLDは、執行部のメンバーたちが拘束から解放されたときに会議を開き、ロードマップについて態度表明するとしています。海外の民主化活動家たちの多数は、ロードマップにも国民会議再開にも反対しています。
 1990年に公正に行われた国民総選挙の結果が、当時、軍政が政権移譲しなかったこと以外に理由もなく、無効にされてしまうのでは、真の民主化に向かっているとは言えません。これから軍政はどこへ向かおうとしているのか、今後の動きが注目されます。

  • 放置された国家的虐殺事件 (3月30日)
 10ヶ月前の2003年5月30日、USDA(連邦団結発展協会=軍政が自ら組織する、軍政支援団体のようなもの)が、遊説中の国民民主連盟(NLD)一行を襲撃し、70人以上を殺害、多数を負傷させ、また行方不明にする事件がありました。ディペーイン事件です。事件の後、今度は軍政が、多くのNLD党員を逮捕・拘束しました。アウンサンスーチー書記長・ティンウー副議長らNLD執行部は、今も自宅軟禁の状態です。
 ディペーイン事件後、ビルマでは、キンニュン将軍が「首相」になり、「ロードマップ」を発表して国民会議を開催すると発表しました。しかし、これらの「イベント」は、報道メディアの紙面・時間と関心を、ディペーイン事件からそらすためのものでしかなかったようです。実際、「首相」は選挙によって選ばれたのではなく、軍政トップの指名によって任命されたものですし、国民会議は、未だ開催日程さえ発表されていません。
 世界各地のビルマ民主化活動家たちは、ディペーイン事件直後から、国連に対して、「公平な捜査」を申し出ていますが、10ヶ月経った今でも、進展はありません。 先週、国連では、ビルマ代表ミャッタン氏(軍政から選出された人物)が、「アウンサンスーチーさんの心が純粋で、政治において現政権と歩みをともにしていたなら、ディペーイン事件は起こらなかった。事件が起きた理由は、アウンサンスーチーさんにある。」と発言しました。国連は、今後、どのような道を選んでいくのでしょうか?

  • 軍事政権トップの意思表明 (3月28日)
 第2次世界大戦末期の1945年3月27日、ビルマが対日反乱を始めました。以来この日は、ビルマにとって抗日の記念日となりました。1954年、日本=ビルマ平和条約・賠償および経済協力協定が結ばれた後、この日は「ビルマ国軍の日」と呼ばれるようになりました。
 59回目にあたる2004年3月27日、7000の軍人によるパレードと、軍事政権のトップ、タンシュエの演説が行われました。演説の主な内容は、「国内外の反軍事政権活動家を殲滅すること」「ビルマ国軍をさらに拡充し、最新鋭兵器を導入すること」でした。
 今、国民の最大の関心事は「国民会議がいつ開かれるのか、民主的な会議になるのか」ということです。しかし、軍政トップの演説は、民主化活動家を壊滅し、軍を大きくして国民への圧力をさらに高めるという内容だったのです。国民が真の民主化を求めているにもかかわらず、軍事政権は民意に逆行し、民主化への道はさらに険しくなっています。

  • コンピューターには、角が生えていますか? (3月26日)
 ラングーンとマンダレーのコンピュータ大学の学生、約300人が、出席率の不足を理由に退学処分を受けました。退学になったのは、最終学年の学生たちで、今月29日の卒業試験を前にしての処分です。
 1988年の学生民主化運動以降、軍事政権は、集会など学生たちの活動を恐れて、大学を学部ごとに分割し、所在地も学部ごとに遠く離れた場所へと移しました。その結果、コンピュータを学ぶ学生たちは、ラングーン・マンダレーの各都市からバスで1時間半の場所まで通うことになりました。また、大学で教える内容がたいへん乏しいため、多くの学生は、大学と平行して塾に通います。貧しい家の学生は、アルバイトをしながら通学しなければなりません。こうした理由から、学生たちの出席率は低下し、要求されている75%を満たすことができなくなりました。最終試験を前に、学生たちがデモをしましたが、デモに加わった学生は、退学させられました。
 「大学」を名乗るものの、3年制のこれらの学校には、2部屋の「コンピュータルーム」があるのみです。1年次にはコンピュータによる実習の授業がありません。2002年のデータによると、軍事政権はGDPの約50%を軍事費に使い、教育と医療にあてた額は、わずか0.27%です。「コンピュータには角がありますか?」は、学生たちの耳慣れたジョークなのです。

  • アウンサンスーチーさん解放?軍事政権、その真意は? (3月25日)
 2004年3月25日、アウンサンスーチーさんが3度目に拘束されてから300日目になります。タイの外相は23日、「アウンサンスーチーさんが来月にも解放され、6月までに国民会議が召集される可能性がある」と発表しました。ビルマ軍事政権が、昨年5月30日のディペーイン事件から1年を迎える前に対処することで、国際的批判を免れようとして、タイ政府に協力をもとめたもの、との見方が強いようです。
 軍事政権は、アウンサンスーチーさんを解放した後、彼女に政治・言論活動等の自由を保障するのか。軍事政権は、国際社会の批判をおそれて、この場をしのぐ行動に出ただけなのか、ほんとうに民主化を進めようとしているのか。また、各国政府は、軍事政権の動きをきちんと判断して対応するのか(日本政府の対ビルマODAはどうなるのか)。さらに、国民会議は民主的な方法で開催されるのか、注目されます。
 1990年の国民総選挙で選出された国会議員の80%以上はNLD(国民民主連盟)党員ですが、ビルマ国内に住む議員のひとりによると、「軍事政権から、NLDに対する国民会議の正式な召集状は届いていないし、日程も知らされていない」という。民主化活動家の多くは、アウンサンスーチーさんを欠いた会議は国民会議として認められないとし、今のままでは国民会議は軍事政権の思わくどおりに進められ、民主化への道は開かれないと考えている。

  • ミンコーナインさん、獄中生活15年目に (3月23日)
 2004年3月23日、全ビルマ学生連盟の議長ミンコーナインさんが逮捕されて15年になります。1988年の民主化闘争を指導した学生リーダーのミンコーナインさんは、10年の刑期を終えたにもかかわらず、釈放されずに軍事政権によって今も投獄され続けています。



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SCDBコラム/ニュース #002 2003Dec23
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 ビルマ軍事政権の支配は15年間になりました。
 ビルマのさまざまな問題の原因は、政治に軍が入っていることにあります。政治は政治家の仕事です。ビルマの政治のためには、1990年の総選挙で国民に選ばれた議員たちがいます。しかし、この国会議員たちは今、逮捕されて政治囚となったり、海外に亡命したりしています。国内にとどまっている国会議員もいますが、彼らに政治活動は許されていません。
 ビルマがよい国になるためには、民主化が最も必要です。民主化のためには、今の軍事政権を打倒しなければいけません。
 軍事政権を消滅させるためには、諸外国が、
1.ビルマ軍事政権を援助しない
2.ビルマ軍事政権と経済活動をしない
3.ビルマに観光旅行をしない
 この3つが大事です。
 ビルマ国内では、外国と経済活動ができる人間は、軍事政権の家族やその関係者たちに限られています。一般の国民たちは、外国との経済活動ができないばかりか、外貨を持つことすらできません。ですから、ビルマと経済活動をしたり、ビルマを観光旅行したりすれば、ビルマの軍事政権を援助することになってしまうのです。
 現在、日本にはビルマ軍事政権と経済活動をしている会社がたくさんあります。その中から、下記の4つは、SCDBの本拠地、名古屋にある会社です。このような4つの会社を、ビルマ軍事政権と経済活動をしている、つまり、ビルマを民主化から遠ざけてしまっている会社なのではないかと、考えてください。
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◆会社名
   株式会社トキワ Tokiwa Corporation
◆所在地
   〒461-0004 名古屋市東区葵3-23-3 第14オーシャンビル2F
◆電話/FAX
   052-979-2011 / 052-979-2012
◆ビルマ国内事業
   1998年2月、合弁会社ミャンマー・トキワ・コーポレーションを設立
   「Aphrodite(アフロディーテ)」(化粧ブランド)
   「とTOKIWA」(鉛筆ブランド)
   両ブランドとも、マンダレーとヤンゴンの工場でアジア向けに生産   
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◆会社名
   東海協和株式会社 Tokai Kyowa company
◆所在地
   〒455-8539 名古屋市港区入船一丁目1番20号
◆電話
   052-651-3111
◆ビルマ国内事業
   1997年、TKK AGENCY (YANGON) CO.,LTD.を設立
   業種は海上貨物・航空貨物・コンテナなど
   日本国内に営業所は多いが、海外営業所はビルマとアメリカのみ
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◆会社名
   岡谷鋼機株式会社 OKAYA & CO.,LTD.
◆所在地
   〒460-8666 名古屋市中区栄二丁目4番18号
◆電話/FAX
   052-204-8121 / 052-204-8385
◆ビルマ国内事業
   OKAYA & CO., LTD., YANGON REPRESENTATIVE OFFICE.
   (鉄鋼・化学製品・建築資材・電機部品・食料品などを扱う)
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◆会社名
   豊田通商株式会社 Toyota Tsusho Corporation
◆所在地
   〒450-8575 名古屋市中村区名駅四丁目9番8号(センチュリー豊田ビル)
◆電話/FAX
   052-584-5000 / 052-584-5636
◆ビルマ国内事業
   Myanmar Toyota Tsusho Co., Ltd.(輸出入および卸売)
   TTAS Co., Ltd.(車両および部品の販売)
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SCDBコラム/ニュース #001 2003Nov19
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 “人権は誰にでも、うまれた時からあって当然のものである”
 人権の問題は、多岐にわたっています。なかでも言論の自由は、とても大切なもののひとつです。
 例えば、日本では国民もマスコミも、総理大臣や政府関係の人に反対するときは、それについて、話したり書いたりすることが自由にできます。この自由は、日本ではふつうのことで、当たり前すぎて“自由”とさえ意識されないくらいです。でも、ビルマにはこの自由はありません。例えばビルマでは、政府関係の人たちや軍事政権の偉い人たちのことを「(彼らの政治の方法は)間違っている」と言っただけで、逮捕されます。
 ビルマのラングーンで、NLD(国民民主連盟)のメンバー、サンサンモゥさんが、区の公務員高官を悪く言ったために逮捕され、2年間の懲役に服しています。逮捕されたとき、彼女は妊娠していました。子どもは、今年の10月5日にうまれました。息子は、アウンサンモゥリンくんと名付けられました。
 彼女は、ビルマで最も有名なインセイン刑務所に入れられています。インセイン刑務所の状況については、ICRCがいつも監視しています。それでサンサンモゥさんは出産のとき、刑務所を出て、近くのインセイン病院(一般市民が利用する病院)に行くことができました。しかし、10月7日には、母子ともに刑務所に戻されました。今、世界で一番としの若い政治囚は、アウンサンモゥリンくんでしょう。彼は、生後2日で政治囚になったのです。人権は、うまれた時からあって当然のものではなかったでしょうか?
 世界には、人権が認められていない国が、まだたくさんあります。ビルマもその中のひとつです。1日も早くビルマが民主化しないことには、ビルマの人たちは、うまれてから死ぬまでずっと人権とは何かを知ることもなく過ごすことになってしまいます。
 このような人権問題について、あなたはどう考えますか?

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