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民主主義のビルマへ

 ビルマ問題とは何か   日本のODA(政府開発援助)とビルマの人々 
 ビルマはインドと中国の間に位置し、人口は日本の1/3、面積は1.8倍です。住んでいる民族は135に及ぶとされています。軍事政権は1989年に政治的意図から英語国名をビルマから現在のミャンマー連邦に変更しました。
 ビルマでは1962年3月2日に軍がクーデターによって政権を奪って以来、現在まで事実上、軍による独裁政権支配の下にあり、国民は基本的人権である言論の自由、政治への参加権、様々な市民権を奪われています。
 1988年には8月8日を頂点に学生、僧侶をはじめ広範なビルマ国民による反政府運動『8888(シッレイロン)民主化運動』が全国に広がりました。軍は武力でこれを鎮圧し、9月18日にはクーデターによって全権を掌握、国家法秩序回復評議会(SLORC)を最高権力機関とする軍事政権が登場しました。
 1990年5月27日に実施された総選挙では、アウンサンスーチー書記長が率いる国民民主連盟(NLD)が議席の82%を獲得して圧勝しましたが、軍事政権は現在に至るまで政権委譲を拒否しています。
 2003年5月30日、軍が計画的に準備し、NLDに暴力的な襲撃を企てたことからディペーイン流血事件が起こりました(ディペーインは北ビルマ・ザガイン管区の地名)。この襲撃事件の後、国民が希望を託すただ一人の民主化指導者アウンサンスーチーさんの姿は人々の前から消えました。三度目の拘束です。
 不法に逮捕され、ビルマ全国39箇所の刑務所に投獄されている政治囚の数は1100人を越えています。これまでに104名の政治囚が軍事政権の拷問によって監獄の中で死亡しました。
 こうした軍事政権の迫害を逃れて、およそ30万人の学生や市民がビルマとタイの国境へ逃れたほか、100万人以上が母国を離れ、世界各地に散らばっています。
 また、軍事政権が長期間にわたり国民に強制労働を強いたため、国際労働機構(ILO)は2000年にビルマに対して史上初の履行確認を伴う改善勧告決議を採択しました。
 軍事政権が医療と教育にあてた額はGDPの僅か0.27%です(`02年)。一方、軍事費にはGDPの約50%を使い、軍事力はますます強大になっています。さらに、軍事政権が支配しているビルマは世界で第二のアヘン産出国でもあります。

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